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Every cloud has a silver lining


このタイトルは、「どんな雲にも、銀色のふちどりがある」という意味です。

雲の上には、いつも明るい太陽が輝いています。

ですので、雲のふちは銀色に彩られています。


人生の旅、それはいつも晴れているとは限りません。

黒い雲が頭上を覆い、大雨にあう事もあります。

希望が持てない辛い日々を送る事もあるでしょう。

しかし、どんなに苦しい時にも、雲の上には太陽が輝いています。

だから、頭上を覆う雲のふちは銀色です。

太陽は雲の後ろに隠れているだけです。

感謝のある生活は、そうした太陽へ向かう事ができます。

今日も、当たり前に感謝をしていきましょう。


2018-05-14 21:17:47

低炭水化物ダイエット


 世の中に痩せたいと望む人は、ものすごい数がいると思います。私もかつてはもう本当に肥満体で、病気になるのは確実というような有様でした。

 当然ダイエットを真剣に勉強しました。その方法には「夜9時以降は物を食べないようにする」とか「運動をした方がいい」といった当然のアドバイスがありましたが、他に「炭水化物を摂らないようにした方がいい」という、とんでもないものがありました。

 これ、とんでもなく危険なものなんですよ。でも巷では、ほとんど疑われていない様子。

 どうもこの低炭水化物ダイエットというものは、いまや信仰の域に達しているようです。

 繰り返しになりますが、巷で語られる低炭水化物ダイエットは間違っています。そして危険です。


 そもそも低炭水化物ダイエットは、アメリカの循環器系開業医だったロバート.C.アトキンス博士が提唱したものです。正式には「アトキンス式ダイエット」と呼ばれます。

 実際にはとても複雑なルールに基くもので、このブログで書ききれるようなものではありません。関連書籍を充分に読み込んだ上で理解し、厳しい条件を守り続けながら実践していかなければならない代物なんです。

 つまりこれは、単純に炭水化物を摂らないようにすればいいというような認識で済む話ではありません。

 元々は糖尿病患者向けの食事療法が原型で、肥満による健康問題が深刻化しているアメリカならではの健康法です。

 それがなぜか日本では、曲解されたうえに単純化されてしまい、結果的に誤った認識が広まってしまいました。

 
 炭水化物というものは、人間にとって必要な3大栄養素の1つです。

 それを摂取しないようにするという事がどれほど危険なことであるのかの理由はこうです。

 炭水化物は、唾液や膵臓から分泌されるアミラーゼという消化酵素によってブドウ糖(以下、糖質と呼びます)に分解されます。これは脳の活動にとって重要な燃料になります。

 この燃料が不足すると脳の活動が弱まってしまい、記憶が混乱したり、あるいは過度の忘却、意識集中の困難、注意力散漫などの悪影響が出ます。車の運転にも危険が生じるレベルの話です。

 低炭水化物ダイエットは、脂肪になって蓄積されやすい糖質を制限するため、炭水化物が主体の食品を摂らないようにするという考え方ですが、それと同時に、脂肪分解などに必要な、言い換えますと、痩せるために必要な栄養素は的確に摂取するという内容でもあります。
 
 炭水化物を摂らない分、他の物で補うわけですが、巷で横行する方法は、この部分がすっぽり抜け落ちています。

 正確に実行する場合はサプリメントを併用する必要もあるので、相当面倒くさい方法なのですが、“できるだけ手軽かつ確実な効果”を求めるダイエット志望者が多いこの時代背景によって、こうした部分が正しく伝わる事を難しくさせています。

 ダイエットは新陳代謝を向上させて、体重を落とすことに加えて太りにくい身体を作ることを言います。

 でも普通は、体重を落とす事と思われていますね。 

 大抵の場合、体重を気にする人にダイエットを勧める時、ほとんどの人が運動という事を軽視しています。

 しかし運動なしのダイエットは幻想です。

 もし食事制限だけでダイエットは可能だと思っている人は、その誤解を解く必要があります。

 体重を減らす事と痩せる事は、イコールではありません。

 確かに食べる量さえ減らせば誰でも体重を減らす事は出来ます。しかしそれは一時的なものです。

 これで大幅に体重を落としたとしても、それはやつれたのであって、痩せたのではありません。

 食べる量を調整して体重を減らしただけの状態は、身体のストック、つまり脂肪が消費されただけで、ストックの許容量自体は減少していません。

 つまり予備燃料を保管する倉庫は大きいままなので、燃料がまた備蓄されると体重は戻ってしまいます。

 ダイエットを成功させるには、備蓄倉庫の体積も縮小しなくては意味がないわけです。

 そうでないと、体重が減ったと油断した途端に過食がスタートし、体重が戻ってしまいます。

 これをリバウンドと呼びます。その時、備蓄倉庫は膨張してしまうので、以前より体重が重くなってしまう事がよくあります。

 そうならないために、備蓄倉庫の増設(膨張)を防ぐためには、運動が不可欠なのです。

 ダイエットを語る時によく言われる言葉に「食べた分動けば太らない」というのがあります。それはその通りなんですが、言った方も言われた方も、それを実践する事はあまりありません。

 頭の中では運動をしないといけない事、それがダイエットに不可欠な事は理解しているのですが、いざ自分が行うとなると、なぜかそれがどこかへ消えてしまいます。

 
 その結果、間違った結論に達しやすくなってしまいますから、本気でダイエットに臨む方は、いつもその方法を勉強をしていかないといけません。

 結論として、努力を惜しんで都合よく痩せられる事は無いのです。

 もし、それで過剰に痩せてそのうえリバウンドがないとすれば、それは病気の可能性がありますから、病院へ行きましょう。

 炭水化物の過剰摂取が肥満の原因なのは確かです。それならば適切な分量に調整すればいいわけで、必要なものを摂らなくなってしまったらマイナスです。

 ダイエットを決意した人、そして始めたばかりの人は、すぐに結果が出るほど、その方法をほとんど信仰に近いほど信じてしまいます。また、「痩せるためなら多少健康を損なっても構わない」と言い切ってしまう過激な見解を持つ人も見受けられます。

 低炭水化物型のダイエットも、たぶんこうした経緯で広まっていったのだと考えられます。

 
 かつて私は、身長が164センチに対して、体重が99キロもありましたが、今は68キロです。この体炭水化物型のダイエットを取り入れて達成しました。

 しかしこれでゴールではありません。

 ダイエットは、ここからがスタートなのです。体重が落ちてから、それを維持する努力が続きます。

 それはなぜでしょうか?

 実は体重が減った時点での食欲や体質が、まだ99キロ当時のままだからなのです。

 体内にある予備燃料と倉庫の備蓄を減らして、さらに今度はその倉庫の規模縮小工事に入らなければなりません。

 それを忘れて、痩せたぞ! と思って食べ始めたら、つまり予備燃料を貯め始めたらどうなってしまうのでしょうか?

 そうです。リバウンドが始まります。
 
 備蓄は無くなりましたが倉庫の体積は変化していない身体が、今まで失ったものを取り戻そうとしますので、簡単に元通りになってしまいます。

 これが、飢餓感と呼ばれるもので、さらにそれを補うシステムが存在します。

 脳や身体が以前の備蓄量では足りなかったと誤認してしまいますので、更に倉庫の増築が進んでしまいます。

 人間の身体には、生存を確保する本能のために、このような余計なシステムが付いているのです。
 
 結論として、低炭水化物型のダイエットは、身体に大きな悪影響を及ぼすたいへん難しいもので、気軽に行えるものではありません。

 またアメリカ人の体質に合わせて考案された方法ですから、日本人の食生活には根本的に合わないと考えられます。

 
 私にダイエットを勧めてくれた友人たちは、みんな標準的体格の者ではありませんでした。

 ロバート.C.アトキンス博士は2003年に死去されていますが、その時の体型は180センチに対して体重が116キロ。

 つまり肥満体だったのです。
 

 
2018-05-07 09:10:00

錯視




 この画像ですが、何もしていないのにローラーが動いているように見えますでしょう。

 これを錯視と言います。

 錯視を簡単に説明しますと、「目の錯覚」です。

 実際には、目ではなく脳の活動に由来している事が多いので、正しくは「脳の錯覚」とも言えます。

 同じものが違って見える、あるいは止まっているものが動いて見える、そうした現象を錯視と呼びます。



 実は少し前に、大阪の能勢町と兵庫の猪名川町を結ぶ野間峠にあるトンネルに行きました。

 このトンネルに鎧武者の亡霊が出ると聞き、実地の確認におもむいたのでした。いい歳をして何やってるんだ! って言われそうですが、なんでも興味のあるものは、自分の目で見てみたいという趣味が私にはあります。

 時間は夜の11時。この日に限って前後に1台の車もなく、まさに貸し切り状態で現地に向かっていました。大阪側から兵庫側に進むルートでトンネルの入り口に差し掛かった時に、トンネルの入り口の向って左手に鎧武者が現れました。

「うわぁ~、本当にでたぁ」

 って思いましたが、何か違います。冷静に見てみると妙に大きい。

 そのまま車を停めて降りて見てみますと、道路わきに生えている雑草にヘッドライトの光が当たって鎧武者に見えているんです

 ヘッドライトを消してみると見えなくなり、点けると浮かび上がる。歩いて近づいてみるとただの雑草ですが、車に戻って光を
当てると鎧武者になる。

「な~んだ、そうか」


 まぁ、みごとなもんです。これも錯視と言うのでしょうか。


 デジカメで何枚か写真に撮って、その日は苦笑いをしながら帰りました。


 後日、友人にこの話をしましたら、友人はその場所をよく知っていて、怪訝そうな顔で、


「そこに雑草なんか生えていたか?」

 と言います。

「確かに雑草が車のライトで鎧武者に見えた。降りて確認もした」

 と言いますと、その場所には雑草は無いと言います。


 デジカメで写真を撮っていたので、一緒に写真を見ようとしました。


 カメラのバックパネルに再生しようとしましたら、一瞬トンネルの画像が映った後に、パネルが赤くなってドロドロと溶けたよ
うな状態になって、すぐに真っ暗になり、2度と再生できなくなりました。

 買ったばかりの新品のコンパクトデジカメでしたが、電源すら入らなくなりました。


 私はわけがわからず、友人と一緒に野間トンネルへその足で向いました。


 現地についてそこで見たものは、トンネルの左側どころか両側には山の斜面があるばかりで、鎧武者に見間違えそうな雑草など
どこにもありませんでした。

 私は一体その時に、何を錯視したのでしょうか?



 
 そろそろ夏の到来を感じるこの時期に、怪談シーズンの幕開けを告げるお話しでした。



2018-05-03 16:06:36

コーヒー





 今日もメガネとは全然関係のない話です。

 私はコーヒー好きです。ほぼ毎日コーヒーを飲みます。

 複雑な香りと口当たり、そしてカフェインがもたらす様々な効用。さらには飲む事で深い落ち着きと覚醒効果、集中力も高めてくれるすばらしい飲み物。

 しかも砂糖やミルクに頼らなければ、カロリーはゼロ。

 私はもちろんブラック党です。

 こんなにも素晴らしい飲み物なんですが、飲めば飲むほど良いというわけではありません。やはり限度というものがあります。

 今日書きますのは、一日に5杯以上、おそらく2リットル近く飲む私のコーヒーにまつわるお話です。
 
 今ふと思ったのですが、皆さんはコーヒーとどのように出会って、ブラックのまま飲むようになるのでしょうか?

 私の場合は、子供のころ飲んだコーヒーが砂糖とミルクがどっさり入ったもので、家族が淹れてくれたものを飲んで、そのおいしさに目覚めたと思い出しました。
 
 焼いた食パンをミルクやスープなどにひたして食べる方法がありますが、甘みの強いコーヒーやミルクティーでも、なかなかおいしいですよね。

 今はブラックコーヒーばかりの私も、この食べ方は好きです。

 でもね、問題はここから先にありました。

 甘いコーヒーが大好きな人にとっては、普通にはブラックコーヒーなど無縁ですよね。

 ブラックコーヒーなんて、苦いし、甘くないし、しかも真っ黒。良いイメージなどあるはずがありません。

 ウインナーコーヒーが出てきて、ミルクを落としたとしても、完全に混ぜるまではそのイメージも覆せないでしょう。

 私はかつて大昔、ウインナーのコーヒー漬けという、ゲテモノの代名詞のようなものを本当に出された事があります。

 ところが、これが意外においしかったのです。

 実はこれ、手作りの腸詰を調理する過程で本物のコーヒーを香り付けに使用した実験品の試食をしたのです。

 コーヒーの香
りはそれほどでもありませんが、普段食べているソーセージとは違った旨味があって、大変おいしかったのを覚えています。

 まぁ、それはそうとして。

 中学生の頃、ラジオの深夜放送を聴くのが流行った事がありました。

 それを聴くために何とか起きていなければなりません。午後10時から始まるヤングタウンやヤングリクエスト、そして
午前1時から5時までのオールナイトニッポン。他に短波ラジオの海外放送なんかもあって、何とも長時間をがんばらねばなりません。
 
 中学生にとって、午前0時を過ぎたらもはや真夜中の感覚だったので、これはものすごい挑戦でしたので、その味方のために、コーヒーを飲む事を選んだのでした。

 そして、これは大変うまく行きました。

 日付が変わる前に1杯飲めば、まずは大丈夫でした。

 ところが。

 聴き始めてしばらくして、コーヒーを飲んでも眠くなってしまったのです。

 気がついたら朝になっていた、というのを何度もくりかえして、その打開策を迫られました。

 そしてたどり着いた結論が……、コーヒ
ーにミルクが入っていたのが悪かったんだというもの。

 コーヒーに不純物が混じると、カフェイン摂取量が減ってしまうのだ! と浅はかにも考えたわけです。つまり、ブラックコーヒーという“純度の高いカフェイン飲料”を飲めば、この状況は解決できるはず。

 という事で、生まれて初めてブラックコーヒーを飲んだのです。

 最初はもうほとんど薬を飲むようなもので、これのどこがおいしいのか? と思いましたが、背に腹は代えられません。

 でも結果は良好で、まさに「胃薬も 信じて飲めば 風邪薬」で、無事に徹夜を敢行した私は、それ以来ブラックコーヒーないとダメ人間へと変化していったのです。

 ところがこの後、どうしても徹夜をしないといけない事態が起きました。

 当時はコンビニなどはない時代です。なんとかコーヒーを確保しなければならない事態に、自販機で缶コーヒー大量買いを敢行しました。

 6本もの缶コーヒーを買い込み、寝床の脇に置いて、なんとか朝までがんばる事ができました。

 ところが、思わぬ誤算でした。

 ずっとブラックコーヒー漬けだった私は、いつのまにかそれが飲めなくなったのです。

 当時はまだ缶コーヒーにブラックはなく、ほぼすべて例外なくミルクと砂糖たっぷりです。しかも今までホットばかりだったのに、売られている缶コーヒーはアイスのみ。
 
 甘ったるく変化したそれを6本も飲んだため、徹夜に成功はしたものの、それ以降、私は強烈な「アンチ缶コーヒー」「アンチアイスコーヒー」になったのでした。

 え? それって変だって?

 それはまぁ、その通りなんです。

 でも世の中って、そんなつまらない事の積み重ねで変わるもんですから。

 その後はアンチな体質はマシにはなりましたが、やっぱり缶コーヒーはダメ。もうあれから30年以上経つというのにです。

 今でもブログや、趣味のプラモデルを作る時など、その集中力で眠気を蹴散らすスキルも習得しましたが、逆に集中するためにコーヒーを必要とするハメになってしまいました。

 そして今でも仕事をする際にはコーヒーは欠かせません。

 ネスカフェの大瓶を、1人で1週間で空にし、ホームページの更新をしながら、小説の原稿を書きながら、プラモデルを作りながら、部屋の掃除をしながら、アマゾンを物色しながら、食事をしながら、着替えをしながら、コーヒーを飲んでいます。

 私の人生から、もはや不可欠のものと化したコーヒー。

 もしこれが壊滅してしまったら、私もそう長くは持たないでしょう。

 ちなみに、中学時代のブラックコーヒーを飲み始めたばかりの頃、さらにお湯で薄めているのが良くない! そのまま飲めばもっと効くんじゃないか? とバカな事を思い立ち、インスタントコーヒーを粉薬の要領で飲んで、激しくのた打ち回った事があるという事は、ここを読む皆さまと私だけの秘密でお願いします。

2018-04-30 18:35:00

さぁ、いただきます!





 気になる事を聞きました。

 それは子供の食事の食べ方の話で、テーブルに並べられた料理を一品ずつ食べていく事。いわゆる三角に食べる事ができない。さらには寿司を食べる時に、ネタとシャリを別々に食べるというもの。話をしてくれた方はこうした食べ方を嘆いていました。その方は一緒にいたその子の親に話を聞いたそうで、親御さんは子供がいつからこういう食べ方になっていたのか知らなかったと言ったとか。

 しかし、出されたものは残さず食べるため、どう注意していいものかいまだに迷っているそうな。

 でもこれ、案外と特殊な話ではないんですよ。実はこの食べ方は外国人、特に西欧の方とに共通点があるんです。

 例えば、かつ丼。

 来日されたばかりの外国人にかつ丼を出した時、さきほどの子供に似た食べ方をするのです。意外だったでしょ。

 私はイギリス人、正確にはスコットランド人の友人がいますが、その人が来日した時にかつ丼をごちそうしました。すると、とんかつとご飯を一緒に口に運ばず、ご飯の上に乗っているとんかつをきれいに食べてからご飯を食べていました。

 これ、寿司をバラバラに食べる子供と同じ食べ方です。

 友人にその食べ方は何で? って聞きましたら、かつがメインで、ご飯はおかずでしょうと言われました。言われたらその通りで、とんかつとご飯は別の料理だから、一つずつ食べるのが普通でしょ? と逆に質問されました。

 日本人の食べ方には、口の中で複数のおかずを味わう「口内調合」という独特な習慣があるそうです。

 懐石料理で小皿が次々に出てくるのは、主食であるご飯と食べ合わせて「口内調合」をし、味の変化を楽しんでいるとの事。

 西欧の方々にはおかずと主食を合わせて食べるという思考がないので、出された料理をバラバラに食べる事が普通なんだとか

 先に出てきた、寿司のネタとシャリを別々に食べる子供は、料理を食べる事には何の疑問もないでしょうから、かつ丼だけでなく丼ものは全部、別々に食べると思われます。

 話を聞かせてくれた方にさらに聞きましたら、子供の食べ方に嘆くのは、子供の食べ方から日本独自の文化が無くなっていくのではとの嘆きだと語っていました。

 食べ物の好き嫌いで変則的な食べ方をするのではなく、食事そのものの西欧化という変化というところでしょうか。時代と言えば時代かもしれませんが、実は私もこんな食べ方をする時があります。

 他の人と一緒に食事をするときはこんな食べ方はしませんが、一人暮らしなもので、一人で食事をする時は、片付け易いように、おかずを一品ごとに平らげて食器を重ねるようにします。

 生活環境の都合の上で、便利な食べ方をしていたらいつのまにかこうなっていたんですが、これってダメなんでしょうかねぇ

 昭和生まれの私でさえこうなんですから、食べ方で指摘された文化・習慣の希薄さは、今の時代が子供自身の都合に影響を及ぼした結果なんだろうと思います。

 考えてみますと、食事に関して聞く事は、「箸の持ち方」「好き嫌い」「伝統の味」といった内容が大半で食べ方ではありません。

 食事の作法もありますが、これは食べるかたちについてでありまして、口に入れた料理の味わい方に対してではありません。

 口に入った料理に関する具体的な言及は、食後に感想を聞いた時くらいしか耳にする機会はないのです。そして、それに対しての回答は、感じ方の個人差によって、決まった形式などはありません。

 という事は「口内調合」は、「複数の料理を一緒に食べる文化的意義」を定義して教えるよりも、料理を食べた者どうしの「共感」によって覚えてもらわなければならない、ということになります。

 習った事もない、食事の背景になんとなく見ていた曖昧な物事を、改めて他人に伝えることはとても難しいものだと再認識しました。
 
 食に関する文化や習慣は、それまで意識して考えた事もありませんでしたので、先の寿司を食べる子供の親が、どう教えたら良いのか迷う事も当然かと思います。

 私が大好きなお米は、それ単体より他のものと一緒に食べることで味が広がる食材です。先の子供の食べ方で、口の中で味わうことの楽しみが半減してしまっているのはもったいない限りだと勝手に思っています。

 たくあんでご飯を食べる。
 すき焼きの肉や野菜を、ご飯と一緒に食べる。
 味噌汁をご飯にかけて食べる……、どうですか。一緒に食べることで美味しさが出現するものは多いでしょう。

 いえいえ、子供にとって食べる事は、そんなもんじゃないでしょう。ご飯に何が合うかよりも先に食べる、お腹が減れば、とにかく食べる。

 見た目が悪いものはともかくとして、とりあえず空腹を満たすことを優先に、何でも口の中に入れて、それの善し悪しを判断していたでしょう。私が子供の時はそうでした。

 親に多くを教えてもらうより先に、子供っていつも体を張って、そこに新しい何かを発見していたと思いますが、今時の子供ってそうではないんでしょうねぇ。

 これも聞いた話ですが、普通は絶対に思いつかない特異な組み合わせの食べ合わせがあるそうです。

 「プリンにしょうゆをかけるとウニの味」とか、「キュウリにはちみつをかけて食べるとメロンの味」といった種々組み合わせがあるとの事ですが、ご存知でしたでしょうか?

 知識だけでは想像もつかないのが、この食べ方の醍醐味と思います。

 ウニの味などは、しょうゆをかけるプリンの種類によって違うそうで奥の深い話です。

 「ガムとチョコレートを一緒に食べるとガムが消える」とか聞きましたので、今度試してみようと思いますが、まだその機会に恵まれていません。

 でも、バラバラに食べるような食べ方では、こんな発見の機会はないでしょう。偶然の産物を得る機会をなくすような事はもったいない限りです。

 ちょっと反省しつつ、今日は何を食べようかなぁ……。
2018-04-27 16:44:11

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